新・日本紀行(36)志摩 「リアス海岸の英虞湾」
志摩の国(島の国)のとおり、島だらけの「英虞湾」
朝食を戴いて、本日の行程へと出発である。今日は大快晴で、天空には一点の雲も無く、紺碧に晴れわたっている。 海の青、山の緑も冴え亘る。
気分も晴れ渡って、この後は磯部から賢島方面へ向かう。
この地域2004年10月1日 - 同じ志摩郡の阿児町、大王町、浜島町、志摩町との合併により「志摩市」が誕生している。 個人的にも結構な名称である。
『 志摩は、もと伊勢のうちにあって、島々の多くあるところを分けて一国としたものであり、後までも伊勢に付随した国である。 したがって、ここに島とあるのも、伊勢の海の島であって、すなわち志摩国である。 』・・と江戸期の国学者・本居宣長が『古事記伝』に記している。
確かに志摩は、島の国のようだ
R167をそのまま近鉄志摩線に沿って南下すると、賢島橋を渡って「賢島」(かしこじま)に到る。
一見陸続きのような印象を受けるが、れっきとした独立の島である。
賢島は鳥羽に次ぐ志摩地方の一大観光地で、巨大ホテルが島中に点在する。
志摩マリンランド、スローツランド、賢島フィッシングセンターなどもあり、至る所に真珠店やみやげ物店が並ぶ。
島内の観光スポットには殆ど歩いていけるが、とくに賢島港から出航する遊覧船で英虞湾の島めぐりは絶好らしい。
また「日本の夕日百選」選ばれている賢島大橋から見える夕日がいいという。
万葉歌人の「柿本人麻呂」が、
『 阿児の浦 船乗りすらむ 乙女らが 珠裳の裾に 汐みつらむか 』
と詠んでいる。
阿児町(あごちょう)に英虞湾(あごわん)があって、平安期の万葉集では、嗚呼児(あご)の浦、安吾、阿胡(あご)の浦などとも記されている。 何れも(あご)とは「静かな」と言う意味であるらしい。
それにしても「あご」という字の変化が面白い。
志摩町の先志摩半島を顎(あご)に喩えてみると、大小多数の島々を口に含んでいる。
有人無人の島々を数えると50有数といが、その中でも賢島は内陸に接近した最大の島である。
この島々の間に無数のイカダが浮かび、一相の風物になっている。
真珠の養殖筏で、ここは国内でも有数の真珠の養殖が盛んなところ。
かつて、御木本幸吉らが、英虞湾で真珠養殖を手がけ、世界初の「真円真珠」を発明したところでもある。
そして海女が英虞湾で採った天然真珠は遠く中国清朝にも輸出され、珍重されたという。
英虞湾は万葉の時代から真珠のふるさとであり、真珠王と異名を持つ御木本幸吉は発明者と思われがちであるが彼の自伝によると実は発明者ではなく、養殖事業と流通で成功した人であるらしい。
伊勢志摩には伊勢神宮のある伊勢の地と、真珠と海女で知られる志摩半島には「海の歴史」がある。
英虞湾の静かな湾内の景勝地に対して、外洋に面している安乗岬・大王崎は、切り立った断崖に、ぶつかる波が飛び散る様子は勇壮である。
これに相応しい志摩には水軍の将「九鬼氏」の歴史があった。
次回は、九鬼の船団
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