google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本一周紀行: 水戸 「水戸黄門」
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2013年7月18日木曜日

新・日本紀行(115)水戸 「水戸黄門」







   
新・日本紀行


 新・日本紀行(115)水戸 「水戸黄門」 





水戸駅前の黄門様と助さん、格さんの像



「この紋所が目にはいらぬか・・!!」の水戸黄門・・、



徳川頼房の三男、水戸藩二代藩主が「水戸光圀」である。

水戸藩主は徳川御三家の中でも唯一江戸常勤が定められ、将軍を補佐する役目を受け持っていたため「天下の副将軍」と言われた。 

徳川家康の孫に当たる、御存じ『水戸黄門』としても知られ、諡号(しごう:帝王・相国などの貴人の死後に奉る、贈り名)は「義公」と称した。
光圀は、学者肌で非常に好奇心の強いことでも知られており、様々な逸話が残っている。 

日本の歴史上、最初に光圀が食べたとされるものは、麺類をはじめ、餃子、チーズ、牛乳、牛乳酒、黒豆納豆などがあるという。 
肉食が忌避されていたこの時代に、光圀は五代将軍徳川綱吉が制定した「生類憐れみの令」を無視して牛肉、豚肉、ヒツジなどを食べていたともいう。 

学問を好み、若い頃には中国の歴史書「史記」などの歴史書を愛読し、遂に、大書「大日本史」を著わすことになる。



当書は、初代の神武天皇の時代から後小松天皇までの百代の帝王の治世を、「紀伝体」といわれる文体で記した日本の歴史書で、徳川光圀によって執筆が開始され、光圀死後には水戸藩及び水戸徳川家の事業として執筆・校訂が継続されて明治時代に完成したという。 
完成させるまで実に250年の歳月を要したことになる。

紀伝体」(きでんたい)という名前は史書において、「本紀」と「列伝」の下の文字を取って付したもので、歴史叙述の一体裁を現したもの。 歴史現象の総体の中で「本紀」(帝王代々の年譜)、「列伝」(列侯、特に国に仕えた官僚、爵位を持った家臣の一生や周辺の異民族の民俗を書き並べたもの)の他に、「志」(天文や地理・礼楽・制度など特殊な分野の変遷)や「表」(制度の一覧)などに分類して記述すること。 中国の史記で試みられ漢書で確立、以後中国の正史は多くはこの体裁をとっている。 
個人や一つの国に関しての情報が集約して紹介されているため、その人物や国に関しては理解しやすいという。


次回も、水戸黄門




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