新・日本紀行(33)伊勢神宮 「式年遷宮」(Ⅱ)
御正殿の左隣りにある「次期遷宮敷地」(古殿地)
かって、文明史家のトインビー博士が神宮を見て、ギリシヤやイタリヤの神殿古跡に似ていると言ったが、日本の史学者は『 欧州の神殿は廃墟なのに対して、神宮は生きている 』と反論したという。
神社側の公式見解は特に無いというが、ただ、「延喜式」に記載されていることを忠実に行っているだけであると、実に淡々としたもんである。
「延喜式」とは、奈良後期から平安期に養老律令の法典で、禁中(宮中)の年中儀式や制度を定めたもの。
この中の神社、神宮の項で『大神(伊勢神宮)の宮は二十年に一度、正殿、宝殿および下幣殿を造り替えよ。すべて新材を採りて造れ』とあるらしく、そこに取って付けたような理由などは無いという。
宮司は、「 形に従い、繰り返すことが大切なのです、その後に、おのずと判ってくるものです 」といっている。
尚、「遷宮」について 様々な起縁が言われているが、その一つに天武天皇(7世紀の天皇:以前は大海人皇子といい壬申の乱で勝利して即位)以前には天皇が変わるごとに宮を代えていたとされるが、恒久的な宮(藤原京:奈良飛鳥地方の日本史上最初の都城)が建設されることになり、宮代わりが無くなったので、その意義を神宮の遷宮に託したともいわれる。
遷宮の歴史と用材
遷宮挙行は7世紀に始まり、「延喜式」の命ずるままに存続してゆくが、実際は室町期に勃発した「応仁の乱」で120年の空白が生じ、又、昭和期の終戦後の混乱の中でも4年遅れで挙行したという。
この昭和の混乱の時期、報道によって知らされた国民は、混乱と貧困をはねのけ多大な募金が寄せられ、実施に当てられたといわれる。
檜(ひ)の香も高い社殿が完成するまでには、ほぼ10年の歳月を要するといわれる。
その間、御料木を伐り始めるに際してのお祭りを始め、造営の安全をお祈りするお祭りや旧神領民(周辺氏子や一般人)がこぞって参加する行事などが数多く行われる。
この制度は日本各地の有力神社で古来行なわれているが、現在も周期的に行なっているのは伊勢神宮と大阪の住吉大社のみという。
いずれも古式に則って行なわれる、神宮最大の祭事である。
この式年遷宮の歴史は西暦690年の持統天皇の御代に始まり、戦国時代などの中断期を除き、1993年(平成5年)の第61回式年遷宮まで連綿として、20年ごと(一部延期などあり)に続けられてきている。
現在では(2005年)、すでに第62回神宮式年遷宮の各行事が進行中で、過ぐる平成16年春、天皇(遷宮の主宰者)から正式に許可が下りて「遷宮準備委員会」も結成され、その答申に基づいて本格的な準備が進められているという。
そして来る年の2013年(平成25年)には、正遷宮(神体の渡御)が次期「古殿地」へ移転が予定されている。
遷宮にあたっては凡そ1万本以上の檜材が必要とされているが、旧殿に使用された殆どの用材は神宮内や摂社・末社をはじめ全国の神社の造営に再利用されている。
一例として、既に宇治橋の項で述べた。
次回は、伊勢神宮、本年(平成25年)の「式年遷宮」
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