新・日本紀行(33)伊勢神宮 「式年遷宮」(Ⅰ)
御正殿の左隣りにある「次期遷宮敷地」(古殿地)
「神宮式年遷宮」とは如何なるものか・・?
御正殿にて参拝済ませ、そのまま進行方向へ進むと広大な空敷地が広がっている。
手前左隅に白塗りの立て看板があって、そこには「平成25年・第六十二回・次期遷宮敷地」と記載されてあった。
この敷地は、伊勢神宮では20年ごとに内宮・外宮の御正殿を始め、全ての建物・鳥居・宇治橋を建て替え、御神宝(調度品の品々)も造り替えるという次期遷宮のための敷地であった。 通称、古殿地、西の御式地とも言われている。
「式年遷宮」とは、御神体と新神殿に関わる全ての物が遷ることである。
つまり、御神殿の新築・引越しである。
これは、第一に社殿の清浄さを保つためであるが、この式年遷宮が20年ごとというのはその他にも非常に深い意味があるようで、これには「伝統技術や儀式、その作法や芸能を守り、継承するための20年」でもある。
各分野にて専門的なものを継承するということは、1世代に数回の引継ぎを行わなければならない。
例えば人間一生を通して若年、中核時代そして熟年の各時代があるように、これは大まかに20代、40代、60代ともいえる。
この20年毎の繰り返し、引渡しが一流の技能が承継でき、1300年間の伝統の技を担保できるのであろう。
宮大工や木細工や機織り、絹作り、料理方法などなど、内部の装飾や小物もすべて作り直し、多種多様な伝統技術を絶やさず次の世代に伝えることができるわけである。
式年遷宮の生物学的意義・・?
又、最近は「式年遷宮」を行う他の理由として、生物学的に立った新たな学説も有るといわれる。
「生物寿命」の観点から、生物の本質は「永遠の生を目指す」ことであろうが、しかし、生命・人体は構造物で長期使用にあたっては、いずれは壊れる。
つまり、ある時点でそれを捨て、新しく作り直す必要があり、それが次世代への継承であり、つまりは「子供、子孫をつくる」ことだという。
同じ構造物の建築についても同様で、「20年毎に建て替える」ことにより、千年以上経った現在も昔通りに存在する伊勢神宮こそ現実的で優れたやりかたとされ、生物が代々永遠を目指す方法と一致するのである。
「我々の先祖は、実に確かな生命感を持っていた」と敬意を表したいのである。
日本の古い信仰に、「古き神が一度死に、新しき神が誕生する」という考えが有り、20年経ってボロボロになった神殿同様に、祀られている神も廃れてゆく、ここで新しく建て替え、神威を蘇らせる、という考え方である。
遷宮された社殿と遺跡との相違
奈良時代に創建された法隆寺の金堂や五重塔は、1300年以上風雪に耐えている。
確かに、日本には当時から木造建築の技術があった。
では何故、ほぼ同時期から始まった社宮における「式年遷宮」という趣旨が必要性があったのか・・?、その実際の起因は何か・・?。
次回、遷宮の歴史と用材
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