新・日本紀行(30)長島 「三川合流地の因縁」(Ⅲ)
平田靭負とヨハネス・デ・レーケのレリーフと刀を鍬に持ち替えて~薩摩義士像(治水神社内)
近代土木技術によって、さらに木曽三川の分流工事を押し進め完成させたのが、ヨハネス・デ・レーケ(1842~1913年)でした。
明治政府に招かれて明治6年(1873年)に来日したオランダ人技師で、木曽三川分流工事をはじめ、多くの河川・港湾の設計や工事の指導をした。
「治水は治山にあり」という理念の下、分流工事だけでなく、山林の保護や砂防工事も提案した。
明治11年2月、木曽三川流域を調査し、結果を『木曽川概説(がいせつ)』にまとめ、内務省に報告しました。
これに基づき、明治20年(1887年)から木曽三川分流工事が開始、4期25年におよぶ大規模工事を経て、明治45年(1912年)に完成しました。この工事が終わってから、水害はいちじるしく少なくなったといわれます。
滞在30年、日本の河川改修に一生を捧(ささ)げたデレーケは、明治36年(1903年)に日本を離れました。
ところで、平成17年に合併して成立した海津市は海津町と南濃町、そして平田町が合併してできた市である。
平田町は昭和30年に今尾町(大字平原を除く)と海西村が合併して成立した新しい町だが、その平田の名は当然ながら平田靱負正輔に由来している。
地名をとって名字にする例はよく聞くが、功績のあった人物の名をとって地名とする例もないわけではないが珍しいという。
ここからも長きにわたってこの人物が地元の人々から慕われていた事を窺い知ることができるだろう。
しかし、平成の大合併で又しても歴史に名を残した由緒ある地名が消えてしまったのは残念である。 せめて、平田海津市くらいにはして欲しかったが・・?。
尚、遠く離れた鹿児島県と岐阜県とは、苦難を極めた薩摩義士の偉業を讃えるとともに、この絆を深めるため、昭和46年7月、姉妹県の盟約を結んでいる。
木曽川、揖斐川を渡ると桑名である。
平成16年12月、海岸温泉の長島町と歴史の町・多度町が桑名市と合併し、新桑名市に成っている。
この辺りから右手に鈴鹿の山並が遠く望める、あの頂きは御在所岳であろうか・・?、麓に湯ノ山温泉があるはだが。
左は四日市の石油コンビナートが目に入る、中京工業地帯有数の工業地域で、名古屋港にならぶ貿易港でもある。
1960年代にかけて発生した大気汚染による公害・「四日市喘息」は世間の注目をあびた。
硫黄酸化物による集団喘息障害であり、日本の四大公害病(水俣病=熊本・有明湾の有機水銀による生体異変、第二水俣病=新潟・阿賀野川の有機水銀中毒、イタイイタイ病=富山・神通川下流域でのカドミウム汚染・骨の異変、)の一つとされて、現在における大気汚染防止法等、日本の環境政策の拡充に大きな影響を与えたといえる。
四日市の南に日永という地区がある。
ここは京に向かう東海道と伊勢に向かう伊勢街道の分岐点にあたり「日永の追分」といわれる処である。
追分とは道が二またに分かれるところで、伊勢神宮への桑名の一の鳥居に対して、この地に、二の鳥居が建てられている。
市名は四のつく日に市がたったことに由来すると言われる。 御在所山麓の湯ノ山温泉は四日市の奥座敷といったところか。
次回からは近畿道で、先ず「関の鈴鹿峠」
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