新・日本紀行(132)厚木 「厚木の地名考」
教育委員会が刊行した「厚木の地名考」によると、厚木の名が初めて文献に登場したのは、室町元年(1338年)禅僧の夢窓疎石が南北朝時代・足利尊氏の重臣・高師直(こうのもろなお)にあてた書状の中に「相州厚木郷」という名が記されているという、どのような内容、目的の文献であるかは定かでないが。
夢窓疎石は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけて、国師号を授けられた臨済宗の名僧であり、「苔寺」で知られる京都の西芳寺、天龍寺、鎌倉の瑞泉寺など、多くの庭園の設計でも知られている庭園造形師でもある。
又、高師直は足利尊氏の重臣、執事であり南北朝時代の争乱の時期、尊氏に従って南朝方と戦い軍功が多く、尊氏に従って室町幕府創立に寄与している。
疎石は足利家とも縁があり、高氏とも深いつながりが在ったと見えて、師直の兄弟や子息達は疎石に帰依(神・仏などすぐれた者に服従し、すがること)していたという。
夢窓疎石と主将・足利尊氏の側近であった高師直とは相州・厚木郷において何らかの理由で接点があったことが想像出来る。
尚、この時期、足利氏による室町幕府成立に伴って、政治の中心は相模の国・「鎌倉」から再び京都に上っている。
因みに、相州・鎌倉は、幕府滅亡後は足利氏による地方としての政庁・鎌倉府を設置(鎌倉公方)し、関東十ヶ国における出先機関としての役目を果たしている。
この政庁執権を、関東公方とも称している。 この公方を補佐するために上杉氏などの関東管領が置かれていた。
序ながら、この関東管領・上杉氏(扇谷)の家臣で、相模国守護代を勤めた「太田道灌」がいる。 江戸城や川越城を築城したことでも特に有名である。
『 七重八重 花は咲けども 山吹の
実の(蓑)一つだに なきぞ悲しき 』
の歌でも有名な人物であるが、この厚木市街西方、糟谷(かすや:現伊勢原市)地区に居を構えたいた。
だが、ある日、讒言(ざんげん:はかりごと)によって当主の上杉定正によって暗殺される羽目になる。
毎年10月、伊勢原市では 「道灌祭り」が盛大に行はれている。
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