google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本一周紀行: 新・日本紀行(132)厚木 「厚木の古代と名前の由来」

2014年4月21日月曜日

新・日本紀行(132)厚木 「厚木の古代と名前の由来」





新・日本紀行(132)厚木 「厚木の古代と名前の由来」 



厚木の古代は・・?、

厚木の市街地から国道412号線を北東へ8キロメートルほど行くと、鳶尾山麓一帯は小生の住む鳶尾団地など新興住宅地が広がっている。

この付近は縄文時代草創期から、早期、前期、中期、後期の各時期の竪穴住居跡が発見されている。
13,000年前から4,000年前までの長い間、先人の暮らしが営まれていたことが分かり、所謂、縄文の団地であったことが判明している。

尤も、厚木及びその周辺でも縄文期の遺跡が数多く発見され、相模の中央地区は太古より人類が住み着いたことが判っている。

そして、有史の古代には最も栄えた時代を向かえることになる、隣町の海老名の地に巨大な「史跡相模国分寺跡」が発見されているのである。
その規模は、古都奈良の法隆寺をも凌ぐほどの大規模なもので、周囲は東西200m以上、南北300m以上もあるものと見られ、尚且つ、高塔を復元すると七重式で高さが65mもあったとされている。

発掘調査の所見から、8世紀中頃には創建されていたと考えられている。



「国分寺」とは天平13年(741年)聖武天皇の詔(みことのり;天皇の命令)によって国ごとに設置された官寺で、奈良の東大寺、法華寺がそれぞれ総国分寺、総国分尼寺とされた。 
天皇は仏教の力を借りて人心の安寧を計るため、各地に国分寺と国分寺尼寺を建立することを命じ、相模国では現在の海老名市がその地として選ばれ建立された。


一般に、国分寺は、国府(律令制で、一国ごとに置かれた国司の役所)に隣接するか、直近に建立するのが普通であった。
当時、相模国の国府は、今の平塚市にあったと考えられるので(平塚市四之宮、前鳥神社付近とされている)、当時の支配者であった郡司(群衙・ぐんがともいい、当時壬生氏ともいわれる)が何らかの理由で国府と国分寺を切り離して建てられたとする見方があるようだ。


その厚木地域は相模国府と相模国分寺を繋ぐ中継交差する地点であり、相模国の重要な拠点だったとされてる所以である。

市内における国分寺建立と奈良、平安期の仏教の伝播を物語るものとして、飯山金剛寺、船子観音寺遺跡など市内各地から瓦塔片や仏像など発掘されているという。
この頃は、南都仏教(奈良期、平城京を中心に栄えた古来仏教)及び天台・真言宗(新興仏教)などが盛んに地方へ伝播した時代でもあった。






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