新・日本紀行(132)厚木 「厚木の古代と名前の由来」
厚木の古代は・・?、
厚木の市街地から国道412号線を北東へ8キロメートルほど行くと、鳶尾山麓一帯は小生の住む鳶尾団地など新興住宅地が広がっている。
この付近は縄文時代草創期から、早期、前期、中期、後期の各時期の竪穴住居跡が発見されている。
13,000年前から4,000年前までの長い間、先人の暮らしが営まれていたことが分かり、所謂、縄文の団地であったことが判明している。
尤も、厚木及びその周辺でも縄文期の遺跡が数多く発見され、相模の中央地区は太古より人類が住み着いたことが判っている。
そして、有史の古代には最も栄えた時代を向かえることになる、隣町の海老名の地に巨大な「史跡相模国分寺跡」が発見されているのである。
その規模は、古都奈良の法隆寺をも凌ぐほどの大規模なもので、周囲は東西200m以上、南北300m以上もあるものと見られ、尚且つ、高塔を復元すると七重式で高さが65mもあったとされている。
発掘調査の所見から、8世紀中頃には創建されていたと考えられている。
「国分寺」とは天平13年(741年)聖武天皇の詔(みことのり;天皇の命令)によって国ごとに設置された官寺で、奈良の東大寺、法華寺がそれぞれ総国分寺、総国分尼寺とされた。
天皇は仏教の力を借りて人心の安寧を計るため、各地に国分寺と国分寺尼寺を建立することを命じ、相模国では現在の海老名市がその地として選ばれ建立された。
一般に、国分寺は、国府(律令制で、一国ごとに置かれた国司の役所)に隣接するか、直近に建立するのが普通であった。
当時、相模国の国府は、今の平塚市にあったと考えられるので(平塚市四之宮、前鳥神社付近とされている)、当時の支配者であった郡司(群衙・ぐんがともいい、当時壬生氏ともいわれる)が何らかの理由で国府と国分寺を切り離して建てられたとする見方があるようだ。
その厚木地域は相模国府と相模国分寺を繋ぐ中継交差する地点であり、相模国の重要な拠点だったとされてる所以である。
市内における国分寺建立と奈良、平安期の仏教の伝播を物語るものとして、飯山金剛寺、船子観音寺遺跡など市内各地から瓦塔片や仏像など発掘されているという。
この頃は、南都仏教(奈良期、平城京を中心に栄えた古来仏教)及び天台・真言宗(新興仏教)などが盛んに地方へ伝播した時代でもあった。
【小生の主な旅のリンク集】
《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ seesaaブログ FC2 H・P gooブログ 忍者ブログ
《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです) 日本温泉紀行
【日本の世界遺産紀行】 北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観 奥州・平泉 大日光紀行と世界遺産の2社1寺群
東北紀行2010(内陸部) ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002 日光讃歌
【山行記】
《山の紀行・記録集》
「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 南アルプス・鳳凰三山 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 日光の山々 大菩薩峠紀行(1970年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)
《山のエッセイ》
「山旅の記」 「山の歌」 「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」 「日光の自然」