google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本一周紀行: 新・日本紀行(132)厚木 「毛利氏と毛利元就」

2014年3月16日日曜日

新・日本紀行(132)厚木 「毛利氏と毛利元就」





新・日本紀行(132)厚木 「毛利氏と毛利元就」 




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毛利元就




毛利元就について、

元就(もとなり)は戦国時代最高の名将の一人と言われ、用意周到な計略で自軍を勝利へ導く稀代の策略家として名高い。
ある日、元就は三人の息子を枕元に呼び寄せ、一本の矢を折るよう命じた。
息子たちが難なくこれを折ると、次は三本の矢束を折るよう命じたが、息子たちは誰も折ることができなかったという。 
元就は一本では脆い矢も三本の束になれば頑丈になるということを示し、三兄弟の結束を強く訴えかけた・・、これが有名な「三本の矢」のエピソードである。 

だが、毛利家は嫡男の毛利隆元が早世していたため、嫡孫の毛利輝元(隆元の嫡男)が後を継いでいる。
1600年の関ヶ原の戦いでは、輝元が西軍の総大将に祭り上げられ、敗戦の結果、周防国・長門国の2ヶ国に減封される。
それでも毛利家は、江戸時代を通じて安泰であった。


この後、江戸時代末期の長州藩は吉田松陰をはじめ、数々の優秀な志士を輩出し、明治維新を成就させる原動力となったことは周知である。
因みに、安芸の国・広島の「広」は、大江広元の「広」を採って命名されたともいわれる。

尚、長州・毛利家については「西日本編」の山口県・萩市の項目で詳細記載します。



次回は、「厚木の由緒、由来」






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