新・日本紀行(32)津 「津と伊勢平氏」
中世(平安期、)の頃「津」は、阿濃津と呼ばれていて、この地は伊勢平家発祥の地とも言われる。
平安中期・935年の平将門(坂東平氏)の乱の後、将門を討った平貞盛らが伊勢国に移り住み、伊勢守に任じられるなどして伊勢国に定着した。
これが「伊勢平氏」の起こりだと言われ、後の平氏は安濃津氏とも称していた。
この系統の子孫に当たる「平忠盛」は市内西郊外の津市産品の地に生まれたといわれ、平清盛(平家の棟梁)の父でもある。
平清盛は平安末期、平治の乱で源義朝を破り、中央政権で太政大臣にまで登りつめ、平氏一門は隆盛を極めたことは周知である。
清盛をして、一族で主要官位を独占し、全国に500余りの荘園を保有し、時に『 平氏にあらざれば人にあらず 』とまでいわしめた。
武家平氏として子孫の活躍で知られるのは平氏政権を作った伊勢平氏であるが、鎌倉期の執権北条氏を輩出した坂東平氏など、一般に平氏といえば桓武平氏の流れをくむ坂東平氏を指すことが多いという。
しばしば「東国の源氏、西国の平氏」と言われるが、源氏の本拠地は摂津、大和、河内など関西であり、東国は平氏系武士の土着地であることから、「関西の源氏、関東の平氏」と言う方が実態に近いといわれる。
又、平氏は早くから東国に移り、地名を苗字としていた一族が多いが、西国で平氏の名をを残したのは伊勢平氏など数少ない。
権勢を握った平清盛の一族を特に「平家」と呼ぶのに対し源姓を名のった一族は多く、源家は複数になるため、通常は「源家総体」という意味での「源氏」と呼び、源家という言い方はあまり用いない。
因みに、伊勢平氏が滅亡したのは「壇ノ浦の合戦」であるが、この時、平家の棟梁だった平宗盛は入水したが、息子の平清宗とともに源義経によって助け出され、鎌倉の源頼朝のもとに送られる。
鎌倉で頼朝と面会した後、京への送還の途中で近江の国・篠原で、義経のにより斬首された。これによって平家の血筋は完全に消滅し、近江の国が伊勢平氏終焉の地となったのである。
『伊勢音頭』 三重民謡
伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつヨー
尾張名古屋はヨーホイソーリャー
城でーもつヨー
花は桜か、山は富士のー山ヨー
城は尾張のヨーホイソーリャー
名古屋の城ヨー
「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は 城で持つ」という歌詞を聞けば、すぐに「伊勢音頭」が思い浮かぶ。
古調、正調とは別に日本全国には「ヤートコセ ヨーイヤナ」という唄ばやしを持つ「○○伊勢音頭」(御当地伊勢音頭)が多く伝承されている。
言うまでもなく、五十鈴川のほとりに鎮座する伊勢神宮に詣る人々が全国から集まり、荷物にならないお土産として伊勢発信の「音頭」が全国に広まっていったといわれる。
又、伊勢信仰で天照大神を祀った伊勢神宮につかえる「御師(おし、おんし)」が、全国を廻り一般庶民に広がったという。
次回から伊勢神宮について、チョッと詳しく・・!
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