新・日本紀行(24)蒲郡 「三ヶ根山と殉国七士」
三ヶ根山頂に眠る「殉国七士廟」;東條英機(元陸軍大将)、武藤章(元陸軍中将)、松井石根(元陸軍大将)、木村兵太郎(元陸軍大将)、土肥原賢二(元陸軍大将)、広田弘毅(元総理大臣)、板垣征四郎(元陸軍大将)
東京裁判と殉国七士
敗戦のやむなきに至った日本の行為を米中英ソ等の戦勝国が東京裁判で裁き、票決により昭和23年12月東條英機、広田弘毅、板垣征四郎等、いわゆるA級戦犯(A級・・??、 A、B、Cの区分のこと)とされる氏たちの絞首刑を執行した。
A級戦犯のA,B,Cとは罪の重さ、軽さのランク付けではなく、GHQ(連合国總司令部)が戦犯選定のさいに用いた犯罪の内容・種別を示しているもの。
A級は戦略戦争を遂行した「平和に対する罪」、B級は戦争法規・慣例にした「通常の戦争犯罪」、C級は民間人に対する迫害や殲滅(せんめつ)を実行した「人道に対する罪」という内容だが明確な法的根拠は無く、「A級戦犯」は呼称・通称にすぎないという。
東京裁判(極東国際軍事裁判)では26人が「A級戦犯」として起訴され、7人が処刑された。 その後、いわゆる靖国神社には東京裁判での終結、未決で死亡した14人が祭られているという。
尚、処刑された7人は密かに埋葬され、その遺骨がこの三ヶ根山の頂きの眠っているのである。
処刑後の昭和23(1948)年12月23日、米軍による久保山火葬場(横浜市保土ヶ谷区)で米軍によって火葬にふされた。
この時、遺骨は米軍の手にあり、処刑された後、殉死した7人が英雄にまつりあげられるのを恐れた連合国は遺骨を持ち出すことすら禁止し、飛行機で空中に遺骨を撒き散らす予定であった。
これを知った日本人の係官は幸いクリスマスの時期であったため、監視の目をくぐりぬけて遺骨を密かに持ち出したという。 七士の間違いの無い遺骨が、日本人の手に入ることができたのである。
そして火葬場のすぐ隣の禅宗の興禅寺に仮埋葬した。
久保山火葬場は無論、米軍占領下にあり、厳重な警戒網を突破して懐中電灯を点滅しつつ竹竿の先に缶等をつけ苦心惨憺、息を殺しつつ、とうとう全部を収めたという。
だが、興禅寺にいつまでも隠匿しておく訳にはいかず、いつ発覚して持ち去られ、いかなる処罰にあうか知れない。
そこで東京裁判の弁護士を勤めた三文字氏や林逸郎氏等の人々や七士の遺族の人々が極秘のうちに相談した結果、遺骨を熱海の松井家に一端移す事になった。
その後、三文字氏等が「興亜観音」を訪れ「知り合いの、ある人の遺骨ですが、時期の来るまで、誰にも分からぬ様に、秘蔵して置いて貰いたい」と依頼した。
この間、関係人は大変な苦労があったようだが、昭和26(1951)年9月8日、サンフランシスコで講和条約が整い、以後は、米軍の日本取締りは非常に緩められた。
そして、それ以降は七士の遺骨の持ち出しの秘話や、またその遺骨が興亜観音の境内に埋蔵されている事なども新聞等にぽちぽち報道されるようになり、興亜観音に七士の遺骨を弔う人も多くなったという。
次回は、殉国七士廟と興亜観音
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