新・日本紀行(20)掛川・ 「戦国期・山内氏」
新装成った遠州・掛川城
「城下町・掛川」
遠州灘に面する大東町、大須賀町は平成17年4月1日、掛川市と合併し新「掛川市」となっている。
従来の掛川の街(掛川市)は内陸部にあって、沿岸部を通る小生にとっては縁の薄い地域であった。
しかも、この沿岸道のRI50からは間に2~300mの山塊が横たわっていて掛川の市街は全く見通せることもできない。
しかし大東町、大須賀町と合併し新掛川市に成ったことで、その縁が生じてしまったのである。 従って、歴史の街・「掛川」のことを、些かなりとも触れねばなるまい。
市内中心部の掛川の街はJR掛川駅を中心に東名高速、東海道(国道1号線)、そのバイパスと交通網が接近集中している。
その駅前のほぼ中心地に新装成った「掛川城」が小高い丘に構えている。
この城は日本初の本格木造建築であり、「東海の名城」とうたわれた往時の美しさを忠実に復元したもので、天守閣をはじめ、その他の造営物は市民の寄付により再興されたという。
合わせて、駅から掛川城までの周辺地では都市としての殺風景な姿を一変させ、城下町風の美的景観が整備されたという。
又、市内の中心部を東西に大田川の支流である「逆川」が流れる。
この川が、切り立った崖のように見える点から「缺けた川」と呼ばれ、次第に略されて「懸川」となり、「掛川」にと改名されたといわれる。
掛川市の由来でもある。
古来より掛川(掛川城)は東海道の東西交通の要衝としてその意味は大きかった。
掛川城は通称、懸川城、懸河城ともいった平山城(平地にある丘陵を利用して造った城)である。
古くは室町時代中期に守護大名であった今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられ、そのまま朝比奈氏が城代を努めていた。
戦国期、信長によって今川氏が滅ぼされると三河の徳川家康の支配下になり、掛川城には城代として家康の重臣・石川家成・康通親子が入った
「関が原」の後の1590年代には、豊臣秀吉の家臣であった「山内一豊」が城主となり、掛川城の大規模な城郭修築を行っている。 この時点で天守閣、大手門の建設と共に城下町の整備により、東海随一の名城とも呼ばれていた。
山内一豊は戦国期の武将で織田信長に仕え、その後豊臣秀吉の家臣として小田原の役後、遠州掛川に六万石の藩主として治まる。
関ヶ原合戦では東軍・徳川家康につく、この時、一豊は「味方につく以上は、居城・掛川城を兵糧ごと差し上げる所存」といって、家康や周囲の臣を驚かせた。
その義を以って、戦勝高禄で土佐24万石に封じられた。
有名な「妻の内助の功」の話は、彼がまだ織田家の小侍であった頃、信長が「各々(おのおの)馬を参じよ」と指示を出す。 この時、馬を買う金がなく困っている彼を見て、妻が黄金10枚を渡し、無事駿馬を買うことができた。
この「美談」で一豊は織田の家中で一種の名士となったという。
山内一豊とその妻、千代を描いた小説に司馬遼太郎『功名が辻』がある。
2006年(平成18年)にはNHKの大河ドラマ「功名が辻-山内一豊の妻」が、ほぼ原作通り放映された。
戦国期の侍、信長、秀吉、家康をはじめ関係武将が続々登場し、取り巻く女性陣も艶やかに、特に一豊の妻・千代の「良妻賢母」ぶりを主題にして、物語は展開した。キャストに千代:「仲間由紀恵」、山内一豊:「上川隆也」、織田信長:「舘ひろし」など。
歴史時代物が好きな小生にとって実に楽しみで、尚且つ、戦国物はたまらない。
因みに、高知市の「はりまや橋」の近くに「掛川町」が存在した。
これは、掛川から高知に移住した山内一豊の家臣が、居を構えた事に由来するのだが、現在では掛川町は「はりまや町」となっているらしい。
高知市には山内一豊が建立した「掛川神社」も存在する。
この神社は、一豊が高知に入城した際、掛川城の北東(鬼門)にある龍尾神社(主祭神・素盞鳴尊・スサノオ、山内家の守護神)を高知城の北東に勧請したものであり、掛川に因んで命名されたという。
次回、袋井の古刹、
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