google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本一周紀行: 平成日本紀行(218)珠洲 「須須神社」

2018年3月7日水曜日

平成日本紀行(218)珠洲 「須須神社」







平成日本紀行(218)珠洲 「須須神社」 . 





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海に向かって立つ須須(スズ)神社の大鳥居と燈篭




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資料:「蝉折の笛」と弁慶の守刀






狼煙(のろし)と須須神社の関わり・・、

内陸伝いの山道から、一転海岸に出たところ寺屋地区に「須須神社」があった。
鄙びた部落の様相とは不釣合いな程の五段の台座に一対の石灯篭を従えて、立派な鳥居が海岸道路沿いに立っている。 日本海の大洋に向けて真東に向いていて、時期、時刻によっては鳥居の正面に太陽を迎えるが如く輝くという。 
参道の奥には二の鳥居、更にこの奥に三の鳥居が控えていて、そこからは鬱蒼としてやや苔生した感じの奥参道もあり、社殿はその奥に鎮座しているという。 
無論、この海岸からその姿をここからは拝見できない。
1万坪にもおよぶ境内の社叢は、スダジイを主とする照葉樹林(暖帯系常緑広葉樹林)であり、種々の温帯、冷温帯の植物が見られることから、照葉樹林の北方的限界性を示しているともいいう。 一帯は国の特別天然記念物に指定されている。 
神域は、派手々々しさはないが何か格別な古社を感じるのである。

須須神社は通称、神仏混交時代の名残で三崎権現とか三崎明神と称した。 
又、当社は高座宮(たかくらぐう)と称し、すぐそばにある金分宮と山頂・奥宮の三社合わせて須須神社と呼ぶ。 
祭神は天津日高彦穂瓊瓊杵尊(アマツヒダカホコニニギノミコト)と木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、それに土着神(氏神)の美穗須須美命(ミホスズミノミコト)、他に建御名方命(タケミナカタノカミ)、武甕槌命(タケミカヅチオ )、保食神(ウケモチノカミ)等の錚錚(そうそう)たる神々が祀られているのである。



これらの神々を復習のつもりで一寸解説してみよう。
瓊瓊杵(ニニギ)はアマテラスの子(又は孫)で九州の日向・高千穂に降臨した神で日本の建国の祖神と言われる。 
木花咲耶(コノハナサクヤ)は大山祇神(オオヤマズミ:山の神)の子(姫)で、桜の木の命名の由、富士山をご神体とした浅間神社の総本社でもある。 この両

神は「夫婦神」で後、海幸彦、山幸彦を生む。 山幸彦の孫が初代天皇の神武天皇とされる。
建御名方(タケミナカタ)は大国主(オオクニヌシ)の子で、長野県諏訪地方の大神:諏訪大社の主神である。 そして、武甕槌(タケミカヅチ)は、元々は鹿島(茨城・鹿島)の土着神で雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰され鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られている神である。 両神は、出雲の「国譲り」で最終的に争った神とされ、結局、武甕槌が建御名方を打ち破り、後に、諏訪の地に押し込めたとされる。 このことから両神は「相撲」の起源ともされている。 
保食(ウケモチ)は、祖神であるイザナギとイザナミの子で、食べ物を受け持った(ウケモツ)神様、五穀の食物起源の神で多くの神社に祀られている。
  
須須神社の創建は古く、一説には二千年前とも言われる。これはもう神代の時代である。 
鎮座の位置、方位性などから東北鬼門、日本海の守護神としてあまねく信仰され、古代より縁結びの神として知られる。 

この「結び」とは単に男女の仲を結ぶだけでなく安産・育児・病気平癒・槌児祈願、生業繁栄・五穀豊穣・大漁・交通安全・学業成就・・鬼門除け等、人としての総ての生業(なりわい)をいうらしい。
社宮は元々、来る途中の山稜、狼煙地区の「山伏山」(鈴ケ嶽)に鎮座していたらしく、八世紀半ばにここ寺家(じけ)の地に遷宮し、分社されたという。 山伏山には今も奥宮が鎮座する。 

その昔はこの奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、夜ごと大神に献燈(狼煙)しており、これが日本海を航行する船舶の狼煙としての印にもなったという。 奥宮の鎮座する地は、狼煙(のろし)町と呼ばれるのもこのためであり、社名の「須須」は、煤(すす)という解釈ともとれる。


又この社は義経に纏わる伝説がある。
義経一行が奥州へ向かったのは能登、珠洲の経路であり、義経の妻は能登(珠洲市)へ流された平時忠の娘であることは先に記したが、妻を伴った義経一行が奥州へ逃れる途中、義父・時忠を訪ねて珠洲にしばらく滞在したと伝えられている。 
能登から奥州へ向かう途中、一行が珠洲岬の沖合で暴風に遭った為、海上守護神の三崎権現(須須神社)に必死に祈ったところ、たちまちに風が止んで難を逃れたと伝承はいう。 

その時のお礼に平家の名宝とも伝えられる義経愛用の笛・「蝉折の笛」(せみおれのふえ:鳥羽天皇が宋の国〈中国〉から送られた蝉のような節のついた漢竹の笛で、その節のところから折れてしまったところからついた名前とされる)と弁慶が寄進した「左」という銘入りの守刀を奉納したのが今に残るという。

平成17年度のNHK大河ドラマに「源義経」が放映されているが、同様に義経は昭和41年にも大河ドラマの題材に取り上げられている。 
その時の原作者・村上元三は珠洲を訪れて・・、


『 義経は 雪に消えたり 珠々の笛 』 と詠んでいる。 

当社にその歌碑も建っている。
この海岸に向かって屹立する大鳥居の寄進者は「北海道・札幌市」の人であるという。 
奥能登にひっそりと佇む神社の鳥居を札幌の方が寄進されたということは、珠洲地方と北海道とは深いつながりを示し、氏の先祖が珠洲地方の出身だといわれる。 
因みに、明治30年頃の石川県民の北海道移住者の数は珠洲地方が最大だったらしい。


次回、 「伝説とロマンの里


01. 15.

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